第一次マンションブーム | 誠和不動産販売株式会社
第一次マンションブーム
著:誠和不動産販売 2015年4月更新
著:誠和不動産販売 2015年4月更新
第一次マンションブーム
昭和37年に「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)が制定され、分譲マンションが資産として認められるようになり、その後、昭和39年に開催された東京オリンピックを契機に、民間の分譲マンションの建設ラッシュが始まりました。
法律の整備、景気上昇が重なり第一次マンションブームが起きたわけです。
高級ホテルとアパートを合体「コープオリンピア」
1694(昭和39)年に開催された東京オリンピックは原宿近くの代々木公園が会場となり、周辺地域はオリンピック景気に沸いた。
翌年の1965(昭和40)年、表参道沿いに建設された「コープオリンピア」はオリンピック開催にちなんでオリンピアと名付けられた。
コープオリンピアは、当時販売した東京コープ(株)の宮田慶三郎氏が、アメリカのマンションを視察後、最高級ホテルのようなアパート「アパーテル」を目指し、施設入口には居住者用のフロントを配置、部屋には洋式バスを設置し、キッチンには生ごみを切り刻むディスポーザーを取り付け、全ての部屋に冷暖房を完備。部屋の間取りや生活様式もアメリカンスタイルを目指した。
また広い居住スペースを確保するため、ベランダと洗濯機置き場は作らず、地下1階に洗濯業者が24時間常駐している洗濯室を設けた。
生活スタイルの変化もあり、現在では居住者が自由に利用できるよう洗濯機、乾燥機が置かれている。
当時マンションの販売価格はサラリーマン年間所得の10倍に達し、分譲マンションは高級な時代であった。
昭和38~39年、原宿付近の戸建住宅の価格が約800万円に対し、「コープオリンピア」は広さ約29.75平方メートルの住居で約600万円(昭和40年代当時)。
約214平方メートルの住居で約8000万円(昭和40年代当時)で一般の戸建住宅よりも10倍近い価格だった。
地下1階、地上8階建て、総戸数166戸の物件で、メゾネットタイプも含め、住戸は11タイプあるそうだ。
当時の分譲価格で1億円を突破したことから、「第一号の億ション」と言われています。
同時期に、大衆派路線の分譲マンション建設も進み、1968(昭和43)年頃から第2次マンションブームが巻き起こります。
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